医学
生のタイムスリップと元気が出る話
医学の進歩によって、人の生存に関する認識が、
時代と共に変化がおこっている。
これは、生死のタイムスリップだろう!
以下は、きょうのニュースです。
「死んだ夫の精子で妊娠」学会が正式に禁じる
凍結保存していた精子を使い夫の死後に妊娠、
出産する「死後生殖」について、
(06:32) つづきを読む (iza:イザ!より)
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コラム
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元気の気について
では、生死の境とは何なのでしょうか。
これは、関係方面でいろいろと議論されているので、
素人が口を挟むことではありませんが、
素人的に考えてみました。
よく、気絶した、気を失ったという言葉が使われますが、
そのままズーッと気を失った状態、気絶した状態が続くことは、
死を意味することだと思うのです。
でも、肉体はまだ生きています。
だが気を失った、気が絶えたとは……?。
気とは意識を指しているようです。
生とは、活動を意味し、活動のない生は、
生きている意味があるのでしょうか。
ほんの少しの例外はあるとしても、
その活動を意識出来ることが
生きている証だと思う。
やっぱり意識があるということが,
生死の分岐点のような気がします。
お医者様は、瞳孔が開いて心臓が停止したとき、
ご臨終ですといわれる。
それまでは、意識がなくても
意識が戻ってくる可能性があるのだろう。
意識がなかった人が、意識が戻るばあい、
意識は幽体離脱しているのだろう。
そのときは、肉体は、まだ死んではいないようです。
幽体離脱か、永遠の離脱かの見極めが
肉体に起こる瞳孔の開放と心臓の停止らしい。
では、元気とは、元の気、
お母さんのお腹から産れ出たときに
備わっていた気と考えてもいいようですね。
このときの意識のある無しは、
オギャーという産声で判断されます。
このとき泣かなかったら、
助産婦さんが、意識がありません、と判断します。
そして、逆さにして、パシッパシッと体に刺激を与えます。
そうすると、泣く子もいます。
私の長男はそうして産れました。
幸運だったと思います。
大抵の赤ちゃんは、
生まれ出た瞬間にオギャーとなきます。
これが元気が出た、ということだろう。
私は、こう考えました。
赤ちゃんと一緒に、元気が飛び出した、
赤ちゃんと元気とは別な存在で、
元気は大抵赤ちゃんにくっついて出てくると。
これで、辻褄が合うような気がします。
この元気が、これからどんな困難が
待っているとも知れない原動力となって、
赤ちゃんを支えていくのだろう。
死の瞬間まで離れずに
共に生きていくことになるのだと思う。
では、元気がない赤ちゃんは、
全く元気がついていないのかというと、
そうばかりでもないと思う。
子供のとき元気がない子でも、
大きくなるにしたがって元気になる子もいます。
気分という言葉がありますね。
元気は、気分屋なんだと思う。
気分がいいとか、気分が悪いとか、気が向かないとか、
みな、元気の調子を言っている言葉ですね。
気分がいいとは、気の割合が100%に近く活動できるということです。
だから、元、気が出る言葉などで、
、気の出し方をみな工夫すれば、元、気になりますね。
それでは、きょうはこの辺で、
またお会い出来るのを楽しみにしています。
元、気が出るいいお話があったらご投稿ください。
応援よろしくお願いいたします。
医学の進歩によって、人の生存に関する認識が、
時代と共に変化がおこっている。
これは、生死のタイムスリップだろう!
以下は、きょうのニュースです。
「死んだ夫の精子で妊娠」学会が正式に禁じる
凍結保存していた精子を使い夫の死後に妊娠、
出産する「死後生殖」について、
(06:32) つづきを読む (iza:イザ!より)
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コラム
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元気の気について
では、生死の境とは何なのでしょうか。
これは、関係方面でいろいろと議論されているので、
素人が口を挟むことではありませんが、
素人的に考えてみました。
よく、気絶した、気を失ったという言葉が使われますが、
そのままズーッと気を失った状態、気絶した状態が続くことは、
死を意味することだと思うのです。
でも、肉体はまだ生きています。
だが気を失った、気が絶えたとは……?。
気とは意識を指しているようです。
生とは、活動を意味し、活動のない生は、
生きている意味があるのでしょうか。
ほんの少しの例外はあるとしても、
その活動を意識出来ることが
生きている証だと思う。
やっぱり意識があるということが,
生死の分岐点のような気がします。
お医者様は、瞳孔が開いて心臓が停止したとき、
ご臨終ですといわれる。
それまでは、意識がなくても
意識が戻ってくる可能性があるのだろう。
意識がなかった人が、意識が戻るばあい、
意識は幽体離脱しているのだろう。
そのときは、肉体は、まだ死んではいないようです。
幽体離脱か、永遠の離脱かの見極めが
肉体に起こる瞳孔の開放と心臓の停止らしい。
では、元気とは、元の気、
お母さんのお腹から産れ出たときに
備わっていた気と考えてもいいようですね。
このときの意識のある無しは、
オギャーという産声で判断されます。
このとき泣かなかったら、
助産婦さんが、意識がありません、と判断します。
そして、逆さにして、パシッパシッと体に刺激を与えます。
そうすると、泣く子もいます。
私の長男はそうして産れました。
幸運だったと思います。
大抵の赤ちゃんは、
生まれ出た瞬間にオギャーとなきます。
これが元気が出た、ということだろう。
私は、こう考えました。
赤ちゃんと一緒に、元気が飛び出した、
赤ちゃんと元気とは別な存在で、
元気は大抵赤ちゃんにくっついて出てくると。
これで、辻褄が合うような気がします。
この元気が、これからどんな困難が
待っているとも知れない原動力となって、
赤ちゃんを支えていくのだろう。
死の瞬間まで離れずに
共に生きていくことになるのだと思う。
では、元気がない赤ちゃんは、
全く元気がついていないのかというと、
そうばかりでもないと思う。
子供のとき元気がない子でも、
大きくなるにしたがって元気になる子もいます。
気分という言葉がありますね。
元気は、気分屋なんだと思う。
気分がいいとか、気分が悪いとか、気が向かないとか、
みな、元気の調子を言っている言葉ですね。
気分がいいとは、気の割合が100%に近く活動できるということです。
だから、元、気が出る言葉などで、
、気の出し方をみな工夫すれば、元、気になりますね。
それでは、きょうはこの辺で、
またお会い出来るのを楽しみにしています。
元、気が出るいいお話があったらご投稿ください。
応援よろしくお願いいたします。
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